●写真は「中庸先生を囲む会」 2007年8月3日 立川
私は還暦(60歳)の年に附属中学校を退職しました。 私は先生をしていた時、自分ではそれ程頑張っていたり、張り切っていた積りはありませんでしたが、――周りの生徒諸君の目にはどのように映っていたでしょうか―― 退職してから、在職中の疲れが出たのか、体調が思わしくなく、1学期程過ぎた頃から医者のお世話になるようになりました。
初めは風邪を引いたような具合でしたが、いつまでもハッキリしないので、大きな病院で検査をして貰いましたら、「肝臓ガンの疑いがある」と言われ、慌てて築地にある国立ガンセンター病院に行って診て貰いました。
ガンでないことは分ったのですが、ここでもハッキリした病名は分らず、あちらこちらの病院を転々とし、現在までの20余年間に、2・3ヶ月の入院を5・6回繰り返しました。その中には、胆のうの摘出手術をした例や、急性膵炎で3ヶ月入院した例もありました。最後の入院は――これが最後のものになって欲しいと心から願っているのですが―― 77歳の時(77歳というのは「喜寿」と言って本当はお目出たい年なのです)脳梗塞を患って入院したのでした。
この時の症状は、歩けないことと、何かにつかまっていなければ、独りでは立っていられないことでした。有り難いことに、この時はわずか2ヶ月で済みました。而もその中の1ヶ月は、10年前に患った、何だかやたらに難しい病名の内科の病気でした。退院して、歩いて家に帰る途中で会った、若い頃看護婦をしていたという、近所の婦人は、「昔よく歩いていらっしゃったから、歩けるのですね」と言ってくれました。
私にとって、幸運という以外に表現の仕様のないのは、この病気から治ったあとに、何も後遺症らしきものが出なかった、ということです。普通は、言語障害になって、よく物が言えなかったり、手足に故障が出て、ちゃんと歩けなかったり、車椅子の生活になったり、という例が多いようです。
ただ、年齢のせいか、病気のせいか、飲んでいる薬のせいか、は分りませんが、フラツキがあります。道を歩いている時に自分でわかります。でも、人とぶつかったり、自転車とぶつかったり、車とぶつかったりした事はありません。とはいえ、住んでいる所が公団の狭い家なので、柱にぶつかったり、壁にぶつかったり、家具にぶつかったり、というのは、しょっちゅうです。
2008年1月27日