ようこそ.附中へ!25期ご一行様
当日は寒い日で、暖房が入らないのでホカロンを用意していましたが、2Dの教室は満員御礼、
熱気でムンムンしていました。学校めぐりをする頃、校舎から見る夕陽の何と素晴らしかったこと・・・。
うす暗くなった廊下に、下校の音楽でかかっていた“メロディフェア”が聞こえてくるようでした
前列左から2人目より右へ濱中先生、宮永先生、佐藤中庸先生、森田先生、安藤哲子先生
佐藤先生 「S60年に附中退官後、11年間で5回の入退院。頭が動かない。目が見えにくい。耳も聞こえにくい。声も出しにくい・・・。昔の山形屋の海苔のラジオCMみたいになっちゃって・・・。」イヤイヤ、まだまだでですよ、先生!滑らかなSato\'s English,「Last boy,Stand up」なんて聞きたかったな~
安藤先生 H2年に退官。今年で70歳。41年間の長さにわたって教職に。人から教えら週2回スイミングに通われている。マスターズ100傑にお名前も。料理も手芸もお手の物。良妻賢母、日本のお母さん、ここにあり。そう言えば、「1日30品目食べなさい、女の子は冷えるといけないから、ミニスカートなんてダメよ。」って言われてたっけ。
濱中先生 ただ今、副校長(教頭)先生。チュウとエラオ先生だけが、我々の時代の生き残り。いまの3年生が50期生。(我々25期+25年の月日=50期。合っている)1クラス40名(ちょっと減った)。校舎も行事も大きく変わらず。(1ヵ所、下駄箱から上がる階段下に印刷室が)「教え子の子(教え子の孫)が7人いること、長期教育計画が附中での財産」。この3月で晴れて停年ご退職となり、4月からは悠々自適なご隠居様に!?御疲れ様でございました。
玉木先生 H2年に安藤先生と一緒に(やっぱり名コンビ)退官後は、ご隠居生活。教師辞めればタダの人だそうで、6000人以上の卒業生が財産。たわけてたのにね。ただ今45歳男性のお相手探してま~す。そっち方面でお忙しい?「たわけもの~」と、一発、喝!を入れてほしかったけれど、あの玉サンも一回り小さくなっちゃった感じ。当時「俺はトラ年生まれ」と豪語されていたのに、ホントはかわいいウサギ年生まれなのでした。ヘヘッ!
森田先生 S55年に退官。四年間学芸大、以後12年間上越教育大の先生。どうりで難しいと思った。先生のx+y・・・は大学レベルだったのね。3年前、停年退職され、元気に。先生って命縮める職業なのね。「数学なりの問題で、まちがえたとき、何故まちがえたのかを解明していくことこそ大事なこと。人生も然り・・・」フムフム、ウンチクのあるお話。そう、失敗こそが生き方を強くする。
宮永先生 H1年退官。ただ今70才。こちらも辞められてから、元気になられたとか。今は音楽から全く離れた生活。引き続きゴルフと、新しく2つのことを始められているとのこと。この2つのこと、何だったのかしら?それにしても、女性陣の方がactiveなのは何故。
鈴木二千六先生(学芸大附属世田谷小校長先生)は、病気療養中のため、ご出席いただけませんでした。ここに二千六先生の笑顔があったら、どんなによかったことか・・・。早く回復されることを祈りましょう。
文責:小野澤(北)