これまで同期会の記録を同窓会HPに掲載していませんでしたが、投稿の仕方を同窓会の幹事さんから教えていただきましたので、古い方から順次掲載していきます。
日 時:1995年11月19日(日)13:30-16:00
場 所:「橋本屋敷」@乃木坂
参加者:石毛先生、大澤先生、玉木先生、森先生、柳下先
生、渡辺先生、同期生41人
当日は秋晴れの下、与謝野晶子が住んでいたという麻布龍土町の洋館を改装したレストランで開催しました。
先生方からの当日のお話だけ簡単に記録します。
石毛先生:もうすぐ71歳。小金井のあと、附属高校、教育社、学芸大の海外子女教育センターに勤めた。今は山歩きと園芸を楽しんでいる。山歩きは2ヶ月に1回くらい、園芸は温室を作り蘭が好きで、シンビジウム50鉢、東洋ラン10鉢ほか。
大澤先生:小金井のあと、杉並区教育委員会、東京都教育委員会、公立学校を経て、現在は文化女子大附属杉並高校に勤務。朝は7時に学校に行っている。最近は大きな木を見たいと春から秋にかけて秋田の和賀山塊に出掛け、日本一のブナとクリの木を見た。
玉木先生:小金井では3期生から43期生まで6375人の卒業生に係わった。この縁は私の一生の宝で大事にしていきたい。同期会の案内をもらい若竹会の名簿を開いた。16期生150人のうち120人ははっきり覚えている。16期生については、老朽校舎から新校舎に移った最初の学年、2年次の運動会前に校庭に水が溜まり4期生の竹之内3尉が自衛隊1個分隊を連れてきてきて整地してくれたが効果がなくバケツリレーで水掻きをしたこと、半田先生が移籍した秋に10年ぶりに充実した研究発表会を行ったこと、三年になった昭和39年から一学年4学級としたことが印象に残っている。16期生も社会の中堅となり重い責任を負っているだろうが、会社人間になってはいけない。人間には働く限度がある。その限度を超えたとき、家族は悲痛のどん底に突き落とされる。家族を大事にせよ。
森先生:10年前に退職し、今は週4日仕事に出ている。73歳。16期生は2年生の時にB組を担任したが途中で半田先生が着任して交代。当時一番若かった半田先生もこの春で退職された。
柳下先生:小金井から東京都教育委員会に移り11年、そのあと頼まれて幼稚園の園長兼小学校長を9年、今は女子大に出ているが68歳なのであと2年で定年。その他週2回は日本武道館で書道雑誌の編集をしている。
渡辺先生:大変忙しく過ごしている。忙しい理由は3つあり、10年ほど前から絵を始めた。やってみると面白く、プロに混じってヨーロッパのスケッチ旅行に参加し、その絵日記を富士銀行の小金井支店で展示する。ビリヤードにも凝っていて、家にビリヤード台を購入した。月曜から金曜までは家で数学を教えている。
安藤先生、織田先生が急用や風邪のため急に欠席となりました。
同期生からは、家庭の話、仕事の話、教育論など話題が豊富で、普段馴染みの薄い世界に触れることができ、なかなか刺激的でいい感じの集まりでした。料理を前にして話す方が忙しく、予定の3時間があっという間に過ぎました。
終了後、半数ほどの人は乃木坂駅近くの健保会館のロビーに場所を移し、更に7時くらいまで話を続けて散会しました。(記録:西出)